クラブ

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    昨日の前座試合では懐かしいメンバーが揃いOB戦。
    東京や静岡から来てくれたメンバーも。
    ただただ懐かしかった。



    数年前、サッカーのレベルは県リーグや地域リーグレベルであったかもしれません。
    環境も当たり前に良くなかった。

    そんな彼らがバトンをつないでくれなければ今の奈良クラブは存在しない。

    奈良クラブのトレーニング環境を思い返すとネタのような話ばかり。

    2007年(都南クラブ時代)
    ・上西と嶋と公園に集まりろうそくの灯りや街灯を頼りに走る。
    ・「近所の公園に来てくれたら行く」というメンバーのために橿原の公園に集まることに。
    ・街灯の下で3対1のボール回しがせいぜい。
    ・Jリーグを目指す、と聞いて練習に駆けつけたサッカーファンに「嘘でしょ?」と言われる。

    2008途中〜2009年(奈良クラブ)
    ・人工芝フットサル場の空きコートで練習が行えるようになる。

    2010年
    ・一転、土の野球場を練習場にする。もちろんマウンドで転ぶ。
    ・子ども用のミニゴールを組み立てて練習するが、大人のシュートでよく壊れる。
    ・雨が降るとグランドが使用できないので、みんなで山へ走りに行く。これがめちゃくちゃキツい。それでもみんな集まった。
    ・フットボールセンターが完成し、週に1時間だけ使用する。

    2011年
    ・午前練習に切り替える。このタイミングでこれまでの功労者の選手たちが辞めざるを得なかった。


    いつの時代も昇格がミッションでした。
    周りの関心の高さは変われど、勝利へのプレッシャーはどんなカテゴリーでも変わりません。

    むしろ、県リーグ時代が一番辛かったな。「奈良のために」と戦っているのに、地元の選手たちがそれを妨げてくるのだから。

    そんな難しい時代を自分の生活の様々なことを犠牲にして共に戦ってくれた仲間たち。

    そんな彼らに進化した鴻ノ池陸上競技場でプレーしてもらえたことで少し報われた気持ちになりました。
    (というか、奈良クラブの選手として鴻ノ池でプレーした選手はほとんどいない笑)

    そして、OB会も発足してくれることに。
    嬉しいです。

    バモスも素晴らしいチームということを証明したし、サポーターのみなさんも感動的なサポートをしてくださいました。
    これからも続けていきましょう。


    いろんな人が関わって、たくさんの思いが積み重なっているクラブです。
    その中で、温かさやひたむきさは奈良クラブの歴史にいつも存在していたキーワード。

    トップチームは産みの苦しみの最中ですが、奈良クラブファミリー一丸となって乗り越えていきましょう!



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